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 第16回 コマさんの交友録 江夏豊①

  • 2023/08/09

「黄金の左腕」広島移籍の裏側

 「黄金の左腕」「異端児」「一匹狼」―強烈な個性で数々の記録を作り上げ、球界を沸かせ、騒がせたのが江夏豊である。

 今年2月、阪神の2軍キャンプ(高知県・安芸市)では臨時コーチとしてユニホームを着た。その足で今度は「解説者」として、OBでもある広島の日南キャンプも訪れた。

 「コマやん(記者)来とるからな」突然携帯が鳴り、久しぶりの再会を楽しみにしたが、記者は他の選手の取材と重なり、残念ながら顔を合わす事はできなかった。

 江夏は1967年(昭和42年)大阪学院高からドラフト1位で阪神に入団。「黄金の左腕」は、18歳の新人ながら、この年から6年連続奪三振王に輝き、71年のオールスター戦では9者連続三振を奪う快投を演じた。グラウンドで残した彼の功績は球史に残る。中でも記者の印象を強くしたのが、68年のシーズン。それまで西鉄の稲尾和久投手が持っていたシーズン353奪三振の日本記録を大幅に更新するどころか、最終的に401個の三振を奪って世界記録も塗り替えた。この年の甲子園での巨人戦。かねて「日本新記録は王さんから…」と思い定めていた江夏は、4回にそのライバル王貞治(現ソフトバンク球団会長)を見事に三振に斬って取り、稲尾の記録と並んだ。

 これを新記録と勘違いした江夏は苦笑を浮かべながら「やはり新記録は王さんから取りたい」とその後の打者8人をあえて打たせて取り、7回に三度回って来た王から本当に三振を奪うというとんでもない芸当をやってのけた。

 やがて、こうした自分の力を信じ切っての公私にわたる〝ワンマンプレー〟が誤解を生むようになる。以後阪神から南海、広島、日本ハム、西武と実に6球団を渡り歩くことになる。そんな江夏と記者が急速に距離を縮めるようになったのは、77年11月オフのことだった。

 江夏が信頼する人物から突然電話があった。「広島は江夏を取らんか」という話だった。江夏は阪神から南海に移籍して2年目だった。抑え投手として、リーグ最多の19セーブを挙げていた。江夏が師と仰ぐようになっていた野村克也監督が解任される前後で、信じられない相談だと思ったが、広島の当時の古葉監督にこの話をぶっつけてみた。「本当の話?」

 古葉監督は75年に新人監督ながら初優勝に導いたものの、77年は5位に低迷。チーム再建のためには、江夏の加入は願ってもない話だった。

 (次回に続く)


プレスネット2016年3月26日号掲載

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