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野崎賢治の思い出エッセー:vol.02「夢を持ったらそれに向かってのスタートラインにつけ」|あの日あの時あの言葉

  • 2021/02/06



元ニュースキャスター野崎賢治さんによる思い出エッセー。
あの日あの時感じたあの言葉、そして心に残る言葉を紹介するコラムです。

野崎賢治さん プロフィール

 

vol.02 :「夢を持ったらそれに向かってのスタートラインにつけ」

 

2002年1月17日の私のエッセー。


 ボクシング元世界ミドル級チャンピオン、広島出身の竹原慎二さんのトークショーに一緒に出演するため、東広島市の成人式に招待されました。

 竹原さんのトークですが、頑張って頑張って世界チャンピオンを勝ち得た努力の人だから言えるのかも知れません。それはそれは、赤裸々な自分の人生を話してくれました。

 家庭環境は最悪で、それゆえぐれてしまったこと。中学時代からけんか、窃盗、シンナーは当たり前だったこと。そんな竹原さんも、やがてその筋の大人の人とけんかになった時、これはやばいと思ったそうです。

 今までの子ども同士のけんかとは違う、腕力の世界だけでは終わらない、不気味な怖さを感じたと言います。

 その時から、相手を倒すのであれば、正々堂々と裏のないリングの上で戦おうと決心したそうです。

 世界チャンピオンになった後も、竹原さんの苦悩の道は続きました。試合中に目を負傷してすぐに現役を引退、途端に収入は途絶えてしまったのです。

 やっとのことで見つけた彼の仕事が、日焼けサロンでのアルバイトでした。「元世界チャンピオンのプライドは傷つきませんでしたか」の質問には、怖い形相で私をにらみつけました。「どうしてですか、生きるためには何でもやらなければ仕方がないのです。そのときにはそれしかなかったのです」。

 一見クールに見える竹原さんですが、このエネルギー、パワーが彼を世界チャンピオンにしたのだと思いました。

 最後に、竹原さんは二十歳の若者にメッセージを贈りました。とてもいい言葉だったので、ここで紹介します。

 人は誰でも、頑張っている人から感動をもらう。夢を持て。そして、夢を持ったらそれに向かってのスタートラインにつけ。まず、行動を起こさないと運もこない。


PROFILE
のざき・けんじ
 昭和53年、広島ホームテレビに入社。カープ中継などスポーツ実況をする傍ら、「ステーションEYE」など夕方のニュースキャスターを約10年担当。その後、ニュースデスク。制作部番組プロデューサー時代には、風見しんごを土曜日朝に起用した「ひょっこり評判テレビ」を制作。2000年4月にスタートした夕方情報番組「げっきんLIVE」で久々の現場復帰、メインキャスターを務める。その後、管理職として報道局長、編成局長、総務局専任局長を歴任。


📻FM東広島(89・7MHz)で毎週月曜日午後8時~、同名番組を放送中。
 放送はサイマルラジオでも聞くことができます。

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