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(MON)

野崎賢治の思い出エッセー:vol.06「野球の神様に感謝します」|あの日あの時あの言葉

  • 2021/02/08



元ニュースキャスター野崎賢治さんによる思い出エッセー。
あの日あの時感じたあの言葉、そして心に残る言葉を紹介するコラムです。

野崎賢治さん プロフィール

 

vol.06 :「野球の神様に感謝します」

 

2020年9月7日の私のエッセー。


1980年8月 、当時の後楽園球場での対巨人戦で、その記録は達成されました。

 

衣笠祥雄選手、124 7試合連続試合出場、日本新記録の達成です。足掛け11年、全ての公式試合に一日も休まず試合に出続け、この大記録を達成しました。

 

カープが地元広島に戻って初のテレビ中継が当社。試合終了後、旧広島市民球場での記念セレモニーの共同インタビューを、私が担当しました。

 

3年目のアナウンサーの私には大変なプレッシャーでした。ただ、そのプレッシャーを楽にしてくれたのが、衣笠選手の人柄でした。

 

心臓が破裂しそうな状態で、試合前にベンチで衣笠選手にあいさつ。インタビューの打ち合わせを申し出たとき、若いアナウンサーの私に、本当に丁寧に謙虚に応対してくださったからです。

 

その日の試合は、北別府投手が完封勝利で花を添え、いよいよ私の大役、共同インタビューが始まりました。3万人の大観衆の中、もちろんファンは衣笠選手に大声援を送っていたのでしょうが、大声援の中でのインタビューに、何とも言えない快感を感じたことを覚えています。

 

その時の衣笠選手の受け答えは、今もしっかり覚えています。「周りの人の助けがあってこの記録が達成できた。そればかりが頭に浮かんでくる、野球ができて幸せです。18歳の時に広島に来て、今こうしてファンの前で祝福を受ける。本当に幸せです。広島に来て、本当に良かったです」。衣笠選手の人柄が出ていて、私も感動しました。

 

後にこんな言葉も残しています。

 

「私に野球を与えてくださいました神様に感謝します」

 

「いつか、誰かにこの記録を破ってほしい。この記録の偉大さが本当に分かるのは、その人だけだろうから…」

 

鉄人といわれた衣笠選手が、いかに努力してこの記録を達成したのかが、大変よく分かる言葉だと思いました。


PROFILE
のざき・けんじ
 昭和53年、広島ホームテレビに入社。カープ中継などスポーツ実況をする傍ら、「ステーションEYE」など夕方のニュースキャスターを約10年担当。その後、ニュースデスク。制作部番組プロデューサー時代には、風見しんごを土曜日朝に起用した「ひょっこり評判テレビ」を制作。2000年4月にスタートした夕方情報番組「げっきんLIVE」で久々の現場復帰、メインキャスターを務める。その後、管理職として報道局長、編成局長、総務局専任局長を歴任。


📻FM東広島(89・7MHz)で毎週月曜日午後8時~、同名番組を放送中。
 放送はサイマルラジオでも聞くことができます。

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