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【追悼 芝清氏】政治家人生に幕 芝清さんを追悼して

2021.07.13

市議と県議を32年歴任「市民目線」大切に奔走

 

 

 

 

東広島市議と広島県議を計32年間務めるなど東広島市の発展に貢献した芝清さん=八本松西=が7月4日、81歳で人生に幕を下ろした。
常に市民目線で物事を考える政治家として奔走した。
「まずは関心を持つこと。そして行動を起こすこと」をモットーに、全力で政治家人生を駆け抜けた。

 

 

 



無投票で5選を決め喜ぶ芝さん(2011年)

 

 

 

 

(惜別)
「組合代表とか、保守とかで色分けされることが一番つらい」。芝さんのことを思い出すとき、表情を曇らせながら、私にぼやいていた姿が目に浮かぶ。

  

 支持母体は労働組合だったが、市議・県議を通して無所属を貫き通した。芝さんが心を配り、向き合ったのは市民であり、政党ではなかったからだ。だから、国政選挙では、「東広島市の発展や、市民のために尽くしてくれる人」を支持基準に選び、自民党候補にも正面を切って支援した。東広島市で、リベラルな中庸層と保守系市民の距離感を近くしたのは、芝さんの大きな功績の一つだろう。

  

 もう一つ、芝さんを語る上で忘れてはならないのは、県立中高一貫校を東広島に設置することに尽くしたことだ。市議時代からライフワークとして取り組んだ。「子どもは市の宝。私の夢だったからね。建設が決まったときは本当にうれしかった」。4半世紀前の満面の笑みは、今でも忘れることができない。

  

 多くの公職に就いていたことからも分かるように、温厚で朗らかな人柄は市民に慕われた。一方で、芯がしっかり通っていた人でもあった。後継指名をした後輩の県議を「しっかりしろ。考え方が甘いよ」と叱咤激励していたことを思い起こす。

  

 第一線を退いても、東広島を思う気持ちは、いささかも衰えなかった。「高垣市長は、うまくやっとられますか。」私との会話の中で、芝さんの常套句だった。

(日川剛伸)

 

 

 

 


芝清(しばきよし・享年81):1940年生まれ。呉三津田高卒。
東洋工業(現マツダ)勤務を経て、79年から東広島市議を3期12年、95年から県議を5期20年務める。
県議時代には副議長や総務委員長などを歴任。
2005年藍綬褒章を、16年に旭日中綬章をそれぞれ受章。

 



自らセスナ機に乗って航空写真を撮り続け、県政に生かした(2004年撮影。左が芝さん)

 

 

 



4期目の県議当選を決め、支持者と握手を交わす芝さん(2007年。右が芝さん)

 

 

 



出陣式で決意を語る芝さん(2007年)

 

 

 



2012年、錬心舘広島地区本部創立30周年祝賀会の鏡開きで(左が芝さん)

 

 

 

 

 

 

追悼メッセージ

 

 

 


■東広島市市長 高垣広徳さん

「強い責任感と情熱で市政・県政の推進に貢献」

 


昭和54年から3期12年間東広島市議会議員を、平成7年から5期20年間広島県議会議員を務められる中で、常に東広島市の伸張発展を願い、強い責任感と熱い情熱をもってその職務に精励されました。
広島県の中央に位置し、多くの地域資源と高い成長力を誇る本市の発展が、広島県全体を活性化させるとの信念のもと、東広島市政と広島県政の推進に多大なるご貢献をいただきました。
改めて、そのご功績に対し、心から敬意と感謝の意を表します。
まだまだ、市政各般にわたりお力添えを賜りたいと存じておりましただけに、大変残念であり、寂しく思っております。
心からご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 


■衆議院議員 新谷正義さん

「教育・福祉分野に本腰 将来を担う子どもに目配り」

 


芝清先生は東洋工業(現マツダ)を経て、東広島市議を昭和53年から3期12年、その後、平成7年から県議を5期20年務められました。
県議県議時代には総務委員長2回、県監査委員、副議長などを歴任され、平成28年に旭日中綬章を受章されました。
県議、市議時代には東広島市の大きな問題であった上水問題の解決や企業誘致、道路建設など広島市のインフラ、産業などの課題解決に尽力されました。
また、広島や日本の将来を担う子どもたちを育てる体制が必要とし、福祉、教育問題にも力を入れて取り組まれました。
特に、東広島市内の公立中高一貫校の設立に尽力され、地元東広島市の子どもたちがより通学しやすい環境を整備されました。
芝清先生の「東広島市の発展のために」という思いは市民、そして県民の皆様の心に残っています。
先生のご尽力に改めて敬意を表させていただきます。
最後に、ご遺族の皆様のお悲しみをお察し申し上げますとともに、芝清先生の安らかなるご冥福を心からお祈りいたします。

 

 

 

 

 


■広島県広島県議会議員 西本博之さん

「思いやりと強さ」が魅力 先輩に近づくことが恩返し」

 


生者必滅、会釈定離は世の習いごととはいえ、再び芝先輩のご温情に接する機会を失ったこと、痛恨の哀惜の情に堪えません。
私が県議会に挑戦したのは芝先輩からの強い薦めによるものですが、当時県議会への異動には一部ですが反対の声もあり悩んでいました。
「あなたに、わたしの後を継承してほしい。」先輩からの熱い期待と信頼の言葉です。
政治家だから意見や思いの相違によって反感を持たれる。多くはやむを得ない状況や誤解によるもので、耐えなくてはいけない。
意を決しました。
芝先輩の魅力は「人に対する思いやりと強さ」でした。
その言葉と姿を忘れることはできません。
その姿勢が政治家として多くの方に慕われ信頼されたゆえんだと思います。
芝先輩の功績はあまりにも大きく、後輩として懸命に諸課題に取り組んではいるものの簡単に追いつけるものとは思っていません。
少しでも近づけるようそして期待に応えられるよう今後も努力をしてまいります。
そのことが先輩に対する唯一の恩返しになるものと考えています。

 

 

 

 

 


■東広島市議会 議長 石原賢治さん

「市政発展のために活躍 中高一貫校設立に尽力」

 


東広島市議会議員を3期12年務められ、建設・産業経済の各常任委員会では委員長を務められるなど、市政の発展のために活躍されましたことに心から敬意を表します。
また、広島県議会議員として務められた間は、本市においては、広島県立中高一貫教育校である広島中学校・広島高等学校の設立など教育行政にひとかたならぬ、ご尽力をいただきました。改めて感謝申し上げます。
市議会議員の大先輩として、お会いするたびに懇切なご指導をいただいたことが懐かしく感じられます。
芝先生のご功績をたたえますとともに、心から哀悼の意を表します。

 

 

 

 

 


■全日本少林寺流空手道連盟 会長 正木英雄さん

「30年間にわたり激励 全国大会の誘致に尽力」

 


先生は長い議員活動のご多忙中にもかかわりませず、我々錬心舘の年間を通じた多くの行事に、叱咤激励に来られました。しかも三十数年にわたる行事の中で先生のお顔を見ないときはありませんでした。
先生はこれが自慢でしたね。
おかげでこの広島県に四回も全国空手道選手権大会を誘致、見事に成功させることが出来ました。令和元年、少林寺流空手道 保勇三 第三代宗家を推戴、一般社団法人・全日本少林寺流空手道連盟として組織の再編を果たし、錬心舘空手道を通じて全国一門が次代を担う青少年の健全育成に全力を傾注して頑張っています。先生の温厚、誠実、確実な実行力は私共の活動に大きな励みになりました。
まさに「仁、義、礼、智、信」を行動で教えていただきました。
東広島市内はもちろん広島県内外の多くの皆さんがその薫陶を受けられたと思います。
先生のその偉大な功績は多くの人々の心に刻まれております。
再び先生と膝を突き合わせて語り合えないと思うと淋しい限りです。
天上から、私共を今までと同様に見守って下さい。先生、さようなら、どうか安らかにお眠りください。

 

 

 

 

 


■メンテックワールド 社長 小松節子

おしゃれな見出し忘れ得ぬ一言に感謝 人柄に魅了されました

 


 2008年、広島市から東広島市に本社を移転する際に、私たちを温かく迎えてくださったのが、芝先生と東広島マツダ会でした。
「東広島に来てくれてありがとう。」
芝先生の一言は、私を本当に後押ししてくれました。
 芝先生のことで、感心していたのが、電話で済むことであっても必ず会社に足を運んでくださっていたこと。
私はそんな芝先生の人柄に魅了され、いつも応援していました。安らかにお眠りください。

 

 

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