10月下旬にあったプロ野球ドラフト会議で、武田高(東広島市黒瀬町)の内野海斗投手が、ソフトバンクから育成ドラフト4位指名を受けた。武田高の選手がプロ球団の育成ドラフト指名を受けるのは、19年の谷岡楓太さんに次いで2人目となる。(日川)
内野投手は福岡県出身。中学校までは捕手だったが、「高校では投手をやりたい」と、投手として成長曲線が描ける学校を探した。データを駆使し、科学的トレーニングに基づいて独特の練習に取り組む武田高の存在を知り、「自分を高めてくれる学校」と直感し、親元を離れ、武田高への進学を決めた。
武田高では類いまれな身体能力を生かし、1年生からベンチ入り。秋にはエースナンバーを背負った。ただ、浮ついた気持ちから、伸び悩む日々が続いた。
ターニングポイントになったのは、2年時の春。県大会で、山陽高にめった打ちにされ、意識が変わった。球速や瞬発力など計測するトレーニングの数値に真剣に向き合うようになった。「うまくなるためには何が必要なのか」。一つ一つの練習メニューを考えて取り組むようになった。
成果は如実に表れた。2年の春先まで130㌔台中盤だった球速は、段階を追って上がり、最速147㌔を計測するようになった。憧れだったプロは明確な目標に変わった。カットボールやスプリットなど変化球のキレも増した。甲子園出場はかなわなかったが、「投手としての伸びしろ」をソフトバンクから高く評価された。
プロでの第一歩は、支配下選手とは別枠の育成選手としてスタートする。まずは、支配下登録を勝ち取り、1軍の試合に出場できるようになることが目標だ。「故障をしないように気を付け、一日でも早く、トップ(1軍)で活躍できる選手になりたい」と力を込める。谷岡さんからは「プロでは自分を見失わないことが大切」とアドバイスを受けた。
目標とする選手は、同じ育成出身で、ソフトバンクのエースに上り詰め、来季のメジャー挑戦を表明した千賀滉大投手。「ストレートで三振が奪えるパワーピッチャーを目指す。チームから信頼される投手になりたい」。大きな夢を描きながら、プロでの挑戦が始まる。
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うちの・かいと 福岡県出身。武田高入学後に投手に転向。1年生からベンチ入りし、夏の県大会ではベスト4進出の一端を担った。エースとして、〈選抜〉を懸けた2年生秋の県大会は、尾道高に敗れてベスト8進出を逃し、最後の夏の県大会も、3回戦で再び尾道高に敗れ、甲子園出場は逃した。186㌢、92㌔。右投げ右打ち。