東広島市の安芸国分寺跡(西条町吉行)の1カ所から見つかった土坑出土品が国の重要文化財に指定された。出土品は、墨で文字を書くために使用された短冊状の細長い木の板(木簡)や、漢字などの文字を土器の表面に墨で書き記した墨書土器など全252点。全国にある国分寺で、発掘調査で出土した文化財が重要文化財になるのは初めて。(日川)
東広島市の安芸国分寺跡(西条町吉行)の1カ所から見つかった土坑出土品が国の重要文化財に指定された。出土品は、墨で文字を書くために使用された短冊状の細長い木の板(木簡)や、漢字などの文字を土器の表面に墨で書き記した墨書土器など全252点。全国にある国分寺で、発掘調査で出土した文化財が重要文化財になるのは初めて。(日川)
墨書土器は、「安居(あんご)」や、「齋會(さいえ)」など仏教行事を記した16点の他、「沼田」など安芸国内の郡名を記したと考えられる2点などが出土。品物などが送られたことを示す送り状の木簡は、奈良時代の750年を表す「天平勝寶(てんぴょうしょうほう)2年」銘の木簡の他、安芸郡や佐伯郡、高屋郷(賀茂郡)など郡名を記した木簡も多数見つかった。
市出土文化財管理センターでは、今回の国重文指定について、「年代が特定される紀年銘木簡と合わせて、仏教行事が記された墨書土器や木製品、安芸国内の各地から送られたとされる木簡などが一緒に出土したことに大きな意味がある」と強調する。
国分寺建立の詔(みことのり)は、741年に聖武天皇によって各国に出された。安芸国分寺も、国の事業として全国に造られた寺の一つ。しかし、具体的な建立時期について分かる資料は、これまで安芸国分寺を含め、全国の国分寺でも出土していなかった。
市出土文化財管理センターでは、「国分寺の建立が全国的に進まなかったであろうことは、続日本紀(しょくにほんぎ)などの文献から、これまでも考えられていた。今回の出土は、750年には、安芸の国で仏教行事を行う施設ができていたことを裏付ける。また、その行事がどのようなもので、どのような物が使用されたか、その一端も分かる。学術的価値は高い」と力を込める。
出土品が見つかったのは、東門跡近くの湿地帯。市が、1936年に国史跡に指定された安芸国分寺塔跡(その後、指定地拡大で安芸国分寺跡に名称変更)を、歴史公園として整備する際の確認調査で2000年に見つかった。当初から資料の重要性が指摘され、学術的価値の裏付け調査・研究を経て、国の重文に指定されることになった。市教委文化課の話によると、土を掘りくぼめてできた穴(土坑)の一帯に水分を含んだ湿地面が広がって木製品の腐敗を防いだことが、貴重な発見につながったという。
今回の出土品は、23年1月17日~2月5日まで、東京国立博物館で開かれる文化庁主催の「新指定文化財展」で展示後、23年3月に東広島市河内町の市出土文化財センターで展示される。
高垣広徳市長の話
「市の歴史的価値感じる」
東広島市には歴史があり、その延長線上に現在があることを再認識した。市では、弥生時代に多くの集落ができて稲作で繁栄し、古墳時代(5世紀)の国史跡指定の三ッ城古墳に結び付き、奈良時代の国分寺の建立へとつながっていった。
国分寺があることで、市内には今の県庁所在地に相当する国府が置かれていた可能性が高い。市は、古くから人が住み文化が栄え、地域の中心だったことに、市の歴史的な価値を改めて感じている。