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(THU)

 第6回 「凄腕の剛速球とカーブ ノーヒットノーランでプロ初勝利」

  • 2023/08/02

伝説の剛腕投手 外木場義郎さん

 外木場義郎投手。プロ野球の長い歴史の中で、この人の大記録はきらきらと輝いている。完全試合1回。ノーヒットノーラン2回。

 前回紹介した安仁屋投手に1年遅れて65年に入団。ノンプロ電々九州(現NTT九州)から、実は64年のシーズンが終わるのを待たず9月には契約していた。すぐさまカープの練習に参加した。当時九州地区担当だった久野氏は「掘り出しものです。少々コントロールは荒れているが、剛速球は見ものです」。ベテランスカウトはいかにも得意気に話した。

 翌日、外木場は広島駅の北側にあった鉄道管理局のグラウンドにいた。マウンドもない平坦なプレートに立つ。いきなりスパイクで穴を掘って投げた第一球。とてつもなく速い球だった。変化球も大きく曲がって縦に落ちるカーブ。実はこの2種類のボールが後に完全試合、ノーヒッター樹立の生命線となった。

 1カ月後の10月中旬。因島で行われた阪神との2軍のオープン戦でデビューした。カープのユニフォームを着てわずか1カ月。外木場は5回を0点に抑え、胸を張ってマウンドを降りた。凄腕の剛速球とカーブに阪神打線は圧倒された。

 そして正式には新人1年目となる65年、秋風の吹き込む10月3日の甲子園球場。いきなり快挙を達成した。この日先発予定だった左腕の大羽進が、肩を痛めて回避。急きょ代わって外木場に登板のチャンスが訪れた。オーソドックスなフォームから、キャッチャーミット目がけて力いっぱい腕を振る。速球と角度のあるドロップ(カーブ)が、次々と打者を打ち取っていく。アッという間にプロ初勝利をノーヒットノーランで飾ったのだ。何とこの試合が先発としては2試合目の登板だった。阪神との2軍戦で見せた〝快腕〟が遅ればせながら頭角を現したのだ。

 この頃ナインからは「高慢ちきで生意気なヤツ」と言われていた。新人ながら先輩選手と顔を会わせてもろくにあいさつもしない。快挙達成後に「もう1回やりましょうか」とウソぶいた話は伝説もさもありなん。度胸も相当なものだった。

 その後68年9月14日の大洋戦(現横浜)で完全試合の偉業を成し遂げる。大記録とともにセ・リーグタイ記録の16奪三振のおまけまで付いた。この年の外木場は21勝14敗。防御率1・94は球団初のタイトルホルダーとなる。まさに伝説の剛腕投手だった。


プレスネット2015年12月12日号掲載

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