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(SUN)

 第10回 針の穴を通す正確な投球

  • 2023/08/02

球団初の200勝投手 北別府学

 北別府学(58)は現役時代「精密機械」と異名をとった。球団初の200勝投手。名誉ある殿堂入りも果たした。1994年に引退して21年になるが「針の穴を通す」正確なコントロールはいまだに健在だ。名球界のメンバーとして招待された試合では、外角低めいっぱいのストライクで三振に取るなど草野球チームもたじたじ。

 北別府は75年のドラフト1位指名選手。宮崎県立都城農業高校出身という〝変わり種〟だった。鹿児島県曽於郡末吉町南ノ郷という農業と畜産の集落(現在は曽於市)。畑と山林に囲まれた、のどかな風景があたり一面に広がる。越境入学した学校までは片道約7キロ。山林の道路を1日も休まず自転車通学した。野球部の練習が終わっての帰宅時間は夜の8時を過ぎる。スカウトと同行して入団交渉の取材に訪ねた夜、学校から帰宅した北別府が真っ先に向かったのは、3頭の飼育牛がいる牛舎だった。

 私の前で北別府は飼料を 運んで牛に食べさせる。「これがボクの日課ですから」日焼けしたホッペタが純朴な少年を思わせた。学校ではハムやソーセージを作るのが得意だと話してくれた。

 そんな北別府の獲得交渉を担当したのが、先般亡くなった球界の名スカウト村上孝雄スカウト(旧姓宮川)。現役時代「代打男」として活躍した村上は引退後、スカウトになっての初仕事だった。広島から鹿児島の北別府家に日参。熱心で誠実な交渉態度には、実直な北別府の父親と本人も、確か3度目の話し合いで入団をOKした。

 広島入りが決まった1週間後には、初優勝監督の古葉竹識がニコニコ顔で都城農高を訪ねた。校長室で土産物として「赤ヘル」と「グローブ」が手渡されると、北別府はうれしそうに古葉監督と握手したまま離そうとしなかった。こうした少年時代に培った北別府の素朴で真面目な精神が、球界史上初の200勝への道を歩ませた。


プレスネット2016年2月6日号掲載

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