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(THU)

 第17回 コマさんの交友録 江夏豊②

  • 2023/08/09

江夏流の美学と哲学「流転の人生もまた楽し」

 77年シーズンオフ、南海で抑え投手としてよみがえった江夏豊の側から持ちかけられた広島へのトレード話。とんとん拍子に進む かと思われた話は、江夏の交友関係に関する怪情報が流れたこともあって、頓挫する寸前になっていた。

 しかし、ここで当時のセ・リーグ鈴木竜二会長が「江夏君は球界の宝だ」と発言。「カミソリ竜二」の異名を取った実力者の〝江夏擁護〟が、獲得に二の足を踏み始めていた広島の背中を押す形になって、一気に話が進んだ。

 入団が決まった直後の12月初旬だったと思う。記者は江夏からの電話を受け、大阪駅まで迎えに行った。ハーフコートの襟を立て、小さなバッグ一つを持って、江夏は新幹線のホームにいた。知人と江夏本人に頼まれて、この日から当分の間、彼と関わりを持つことになった。夕方近く広島に着き、食事に誘った。なじみの寿司屋に入ると、江夏は開口一番、陳列されたネタを指さし「左から右へ全部握ってや」。こっちはア然とするやらフトコロが心配で、寿司を味わうどころじゃない。その日はツケで帰り、その後3回に分けてなんとか支払った。

 江夏はアルコール類はいっさい口にしない。コーヒーとケーキの甘党にマージャンがあれば何もいらない。チーム内では仲の良かった衣笠祥雄を「サチ、サチ」と呼び、後輩でかわいがった高橋慶彦を加えた 3人は、キャンプになるといつも一緒だった。夕食が終わるとホテル近くのスナックで〝野球理論〟に熱弁をふるった。もう一人、大野豊にはマンツーマンで指導した。こと野球論になると江夏の目は輝いていた。反対に弱音も吐いた。「ワシの体はボロボロよ」と言いながらもピンチを切り抜ける。「ワシのピッチングはヒジから手首にかけて投げるんや」と記者に語ってくれたことがあった。

 思い起こせば79年の近鉄との日本シリーズ。伝説となった「江夏の21球」はまさにヒジと手首でかわした一球だった。打者石渡のスクイズを即座に見破り、外角に遠く外して空振りを奪って日本一に導いた。

 この年の暮れ、江夏はみたび日本ハムへ移籍した。江夏流の「美学と哲学」で、18年間ボロボロになるまで投げ抜いた。広島を去る時、記者に残した言葉は「流転の人生もまた楽し」。さらに西武をへて野球人生の幕を閉じた。通算成績は206勝158敗193セーブ。不世出の左腕だった。


プレスネット2016年4月2日号掲載

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