7/3

(WED)

 第21回 「激しさと優しさを持つ〝闘将〟 星野仙一」 

  • 2023/08/09

 中日、阪神そして最後は楽天の監督として、念願の日本一を成し遂げた現楽天の副会長星野仙一(68)には3人の師匠がいた。

 明大時代の島岡吉郎監督、現役時代(中日)の水原茂監督、評論家になったころの元巨人軍監督川上哲 である。それぞれが歴戦のつわものとして、野球界に一時代を築いた人物でもある。

 星野は少年時代母子家庭で育った。航空技術者だった父親を、まだ母親の胎内にいる時、病気で亡くしている。星野と姉2人を育て た母親は、とくに長男である星野には厳しかった。エピソードの一つとして、小学生の時。体の不自由な同級生を、一年間学校まで世話をしながら通っていた。こうした少年のころの母親のしつけと優しさが背景となって、星野は学生、プレーヤー時代の師匠たちの指導により〝闘将〟への道を切り開いてきた。

 評論家時代、星野は同じくNHKの解説者だった川上、藤田元司(元巨人監督)西氏らと、ゴルフに出かけたことがあった。メンバー合わせのため、下手な私も参加せざるをえなかっ た。川上、藤田さんを上回る好スコアで回っていた星野は、最終ホールで意識的に大叩きした。大先輩の川上さんに花を持たせたのである。細やか気配りをさりげなくやってのける男であった。

 厳しさと激しさを全面に出した監督星野の姿とは対照的だったが、どちらも本当の人間星野仙一と言うしかない。

 1986年オフ、日本プロ野球界初の戦後生まれの監督として、39歳の若さで中日を率いることになると、チーム意識改革に徹底 して取り組んだ。

 仙台での〝事件〟である。若手捕手の中村武志がミスを連発した時には「帰れっ!」と怒声を発するや、そのまま夜行列車に乗せて名古屋の2軍へ強制送還させた。

 一方では、ひたすら真面目に練習に取り組む選手にはとことんチャンスを与え、引退後の就職の世話までやった。テレビ局の解説者へ、他球団のコーチへ、企業への紹介と。面倒見の良さも球界一だった。

 組織マネージメントの一端としては阪神を優勝に導いた金本、伊良部、下柳ら の大補強の成功、阪神優勝後に楽天監督へ。現在は楽天の副会長の要職にあってまだまだ球界の〝お目付け役〟的な存在としても目を光らせてもらわないと困る。

プレスネット2016年4月30日号掲載

関連する人気記事

新着記事