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(TUE)

 第45回 「真っ向勝負でエースの座に君臨した大石清」 

  • 2023/08/30

 1959年(昭和34年)から10年余りにわたって、エースだった長谷川良平に代わって〝大車輪〟の活躍をしたのが大石清である。

 内角を攻める快速球に、外角へ鋭くキレるスライダーが武器。18歳のルーキーがいきなり大暴れした。場所は府中市にある北川鉄工所が作った「北川球場」のこけら落とし。広島カープ対南海ホークスのオープン戦。

 静岡商高から入団した大石のデビュー戦となった。初登板のマウンドで〝一触即発〟の事件を起こした。 南海のそうそうたるメンバーが相手。広瀬、木塚、穴吹、野村ら。ストライクの入らない大石は四球の連続。だが恐れることなく向かっていった。バッターは大沢啓二(後に日本ハム監督)。2度目の死球をぶつけると、大沢は血相を変えて大石にバットを投げつけた。そのバットを平然と取って、大石は南海ベンチ前に投げ返した。この強心臓ぶりに、ギョロ目をさらに開いて手をたたいたのが監督の白石勝巳だった。将来性に確信を持ったのだ。1年目の6月14日。地元広島での中日戦。大石は6対3で初勝利を挙げた。ストレートにシュート、スライダーをビュンビュン投げ込んだ。新人ながら、中盤からドンドン勝ち星を増やして、この年9勝をマークした。翌2年目には26勝。先発、完投はもちろん3連投もやってのけた。長く低迷する〝弱小球団〟にあって、若い大石一人が〝宝石〟のごとく輝いた。遠州は静岡の出身。きっぷのよい投げっぷりから、ついたニックネームが〝石〟をもじって「森の石松」だった。

 早々と結婚した。幼なじみだった夫人は、家庭にあっては内助の功で尽くし、チーム内ではおしどり夫婦としても有名だった。

 野球においては3年目、4年目と20勝して、3年連続20勝をマークした。「ボクは高校時代投げることだけに専念してきた。もっと野球知識を吸収したい」と1年先に入団していた、当時東京六大学のスタープレーヤーだった法大の小坂佳隆内野手(二塁)を慕って、どこへ行くにもつきまとっていた。小坂が酒好きだったことから、大石も「飲めぬ酒が飲めるようになった」と小坂から酒の飲み方を教わった。

 若くして頑固者で通った大石は性格的にも「気一本の男」といわれた。真っ向勝負のピッチングは晩年肩と肘を痛める原因になった。阪急に移籍後、引退。12年のプロ通算成績は134勝126敗。引退後は広島、阪神、日本ハム、近鉄と長年にわたってコーチを務めた。

プレスネット2016年12月10日号掲載

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