東広島にまつわる歴史を探り、現代へとつなぎたい。郷土史のスペシャリストがみなさんを、歴史の1ページへ案内いたします。
今回のテーマ 「神社に行ってみよう」 執筆:大森美寿枝
毎年初詣でにぎわう御建神社は、山陽本線西条駅北口から約150㍍入った場所に鎮座しています。参道にはクロマツが立ち並び両側には石灯籠が30余り置かれて神聖な雰囲気を醸し出しています。
神社に設けられた主要な施設の名称、用途については深い意味が込められており、これらを知っておくと、神社参拝がより意義深く楽しくなります。
御建神社の由緒
持統天皇慶雲3(706)年諸国に疫病が流行し須佐之男命(すさのおのみこと)に祈ったところ、たちまちやんだので、民衆は社を建立しこれを奉祀(ほうし)したと伝わる。「芸藩通志(げいはんつうし)」(江戸時代の地誌)によると「祇園社、四日市次郎丸村にあり」と記されています。
当社は明治43(1910)年10月3日広島県知事の許可を得て西条町字北、若宮八幡神社、同所胡神社2社、同所金崎神社、同町字大地面の大地面神社及び境内社を村社(そんしゃ)御建神社に合併し、明治45(12)年5月に現在地に移転し、以来西条の氏神としてこの地を守っています。しかし、大正3(1914)年11月火災に遭い一切の社殿が消失しました。その後3年の年月をかけて、7(18)年に社殿が完成して現在に至っています。
正面石造階段の右、石垣中央に「神社合併移転ノ記」があり、また、左の石垣中央には「神社合併移転委員」の名簿があります。境内社に昭和初年京都松尾大社の分霊を勧請(かんじょう)して、西条の酒の守護神とした松尾神社があります。毎年11月に町内酒造家により祭礼が行われています。
神社の参道両側には多様な形の石灯籠が並び厳かな空気が漂います。御建神社の境内にはその他多くの石造物等があり、参道に沿って紹介します。(※注1)
◆石灯籠(いしとうろう)
神様の一層のご加護を願うため神前に灯明(とうみょう)をともすことを目的に祈願者から奉献されたものです。日本には仏教伝来とともに入って来たと考えられています。
灯籠はもともと仏像に清浄な明かりを献じるために仏堂などの前に置かれ、伽藍(がらん)の中軸線上に1基置かれるのが通例でした。
寺院建設が盛んになった奈良時代から多く作られるようになり、平安時代に至ると神仏習合が進み神社の献灯として用いられるようになります。室町後期から安土桃山の時代には茶の湯が盛んになり茶人たちにより、灯籠は照明具、置物として庭に不可欠なものとなり景観の一部として取り入れられています。
◆奉献されている主な形の石灯籠
【山灯籠】
自然石を集めて石灯籠の形にしたもの。参道の入り口に多く置かれています。
【春日形石灯籠】
春日大社にある灯籠が原型とされ火袋に紅葉と鹿、
日・月、三笠山の絵が彫られているのが特徴です。入り口に置かれている灯籠の中台には十二支が彫られています。
【神前形石灯籠】
神社や寺院で多く見られ、宝珠を除いては構成部分が四角形で横からみて竿の中央がへこんでいます。
【西ノ屋形石灯籠】
春日大社西ノ屋前に並んでいる四角形の石灯籠が原型で、宝珠以外はすべて四角形、竿の部分は真っすぐになっています。
【バチ形石灯籠】
バチとは三味線のバチのことで、竿の部分がバチの形に似ているのでその名があり、別名「美人の立ち姿」の名称がある優雅な形です。広島、山口県近辺には多く見られますが関西、四国地方ではあまり見られません。
◆標柱(しめばしら)(※注2)
神社の参道入り口に設置する一対の石柱で神域を表わすものです。標柱には縁起の良い文言(宣揚文(せんようぶん))が彫られています。
標柱は全国的なものではなく瀬戸内地方に多く見られ、中でも広島県が圧倒的に多く建立されています。神社詣での際はまず大型標柱が迎えてくれます。ぜひ宣揚文にも目を向けて神様のご加護を感じてください。
◆鳥居(※注3)
神社を訪れるとまず目に入るものが「鳥居」ではないでしょうか。その大きなたたずまいは神社の象徴であり〝ここから先は神域である〟ことを示し「神域」と人間が住む「俗界」を区画する結界とされ、神域の入り口を示す一種の「門」となります。
【神明鳥居(しんめいとりい)】
直線的で額束(がくづか)がなくシンプルな作りです。伊勢神宮、靖国神社、熱田神宮などで見受けられます。(額束は鳥居についている神社名を示す額)
【明神鳥居(みょうじんとり い)】
笠木に反りがあり額束は取り付けられており装飾性が強く朱色に塗られているものもあります。現在最も普及している鳥居です。春日大社、鶴岡八幡宮などで見受けられます。
【御建神社の石鳥居】
高さ10・6㍍・柱径55㌢『奉献大正3年(1914)6月吉日』の文字が彫られています。鳥居は神域の入り口を示すものなので一礼をして参拝しましょう。
◆石造狛犬(こまいぬ)
狛犬の歴史は古く起源は明確ではなく、獅子も高麗犬も見たことがなかった昔、想像で彫った狛犬は貴族や宮中を守っていましたが、やがて江戸時代になると奉納ブームが起き急速に江戸から全国に広まり、いろいろなタイプの狛犬が彫られました。「江戸形」「浪花形」「出雲形」「尾道形」「岡崎形」等石工たちの個性が魅力的な狛犬を生み各地の神社を守護しています。
【御建神社の狛犬】
① 「出雲形」……お尻を立て威嚇の姿勢をとっている形。
② 「尾道形」……玉に足をかけた形。神社の狛犬は玉に子獅子も乗せており子育て狛犬というところでしょうか。
③ 「招魂社形(しょうこんしゃがた)」……足を踏ん張って胸を張った形。(招魂社とは護国神社の以前の名称)
狛犬に注目して神社を巡ってみませんか。いろいろな表情に会えて楽しませてくれます。
◆手水舎(てみずしゃ)
「ちょうずや」とも呼ばれます。参道を進むと右手の奥に「手水舎」があります。軒下に石造りの「手水鉢」が置かれ、浄水が流れています。手水鉢の側面には「灌心(かんじん)」(心を洗う、清めるの意)の文字と「奉獻 木村静彦」「石工山口市太郎」の名が刻まれています。
神前に出る前に手と口をすすぎ、心身を清めるための場所です。
◆石垣のひみつ
正面階段、左右の石垣に「恵比須様」と「大黒様」、「神社合併移転の記」の石彫がはめ込まれています。「大黒様」は五穀豊穣(ほうじょう)、家内安全の神様。「恵比須様」は商売繁盛、大漁満足の神様。大黒様は大国主命、恵比須様は大国主命の子である事代主命(ことしろぬしのかみ)という説があり、親子神様の対になっています。参拝された時には石垣にはめ込まれた神様を見つけると御利益が得られるかも知れません。
◆玉垣(たまがき)
神域を守るための外側の囲いを玉垣といいます。玉垣の両端には大きな親柱が置かれ、等間隔に子柱が建てられています。石柱にはそれぞれ当時奉献をした世話人の名前が屋号で彫られており歴史を感じます。
参道を進むと神社で重要な建物、本殿と拝殿、幣殿があります。
参道を進んで一番手前にあるのが「拝殿(はいでん)」で、人々が参拝する場所です。多くの人を受け入れるため本殿より大きく造られています。その奥に祭儀を行い、祭神に幣帛(へいはく)(供物)を奉るための建物「幣殿(へいでん)」があります。さらに一番奥に神様が鎮座されている場所で最も重要で神聖な建物「本殿」があります。神聖な場所で内部には通常人は入れなく、垣で囲い神様をお守りしています。
神様の近くを守る垣根を「瑞垣(みずがき)」といいます。御建神社の瑞垣は二重に廻らされており、外側の瑞垣の石柱には『西條共立券番組合大正十一年(1922)秋日建立』と彫られているのがあります(「券番」とは芸妓の取次や花代と呼ばれる出演料の清算などを行う事務所)。当時西条の酒は品質日本一と言われ酒造業が盛んとなり西条の町が華やかであったことが石柱に残されています。
御建神社は須佐之男命他11の祭神が鎮座されており、五穀豊穣、厄除け、商売繁盛、交通安全、縁結びなどのご利益があるとされています。
西条駅北口から徒歩で約5分の参拝しやすい場所なので是非訪れてみてはいかがでしょうか。街中にありながら静寂な中にある神社です。参拝されたら数ある石造物にも目を向けていただき、神社をより身近に感じ親しみを覚えていただくことを願います。
【参考資料】
●広島縣神社誌 《発行》 広島県神社庁
●広島縣の標柱 《発行》 広島縣神社庁
●東広島市の石造物 《発行》 東広島市教育委員会
●東広島市の石造物《発行》 東広島郷土史研究会
●日本の神様と神社の教科書 著者:渋谷申博