お正月に迎えた神様を火で送る
東広島にまつわる歴史を探り、現代へとつなぎたい。郷土史のスペシャリストがみなさんを、歴史の1ページへ案内いたします。
※西条町では平仮名「とんど」と表現されるが、本文では民俗学上の表現を採用して、カタカナ「トンド」と表記している。
トンドとは
毎年1月になると東広島市各地の田んぼや小学校の校庭で、竹を使ったクリスマスツリーのようなものを作って燃やす行事があります。これは「トンド」と呼ばれる豊作や無病息災を祈願して行われる伝統行事です。民俗学では小正月の火祭りに分類され、日本全国で同様の行事があります。この祭りは多様な呼び方があり、竹原市では「シンメイサン」、九州地方では「オニビタキ」、北陸地方では「サギチョウ」と呼ばれています。竹を使って何らかの構造物をつくり、正月飾りをたき上げ、餅を食べるという風習は共通のようです。
誰が作るの?
トンドはコロナ禍前の2020年には西条町内において、少なくとも101カ所で作られました。制作者はさまざまですが、主に自治会などの住民団体が集まって組み立てています。元々は各農家ごとに数軒で作っていましたが、30~40年前から集まるようになったようです。理由は少子高齢化や地域コミュニティーのつながりを深めようという機運が高まったためとされます。地域差があり当初からみんなで作っていた地域や、今も個人で制作している農家もいます。
どこで作るの?
トンドは火を使うため、広い場所が必要です。校庭・寺社・公園・空き地など多様な場所で行われますが、ほとんどは田んぼで作られます。田んぼが少ない都市部では小学校の校庭などで行われます。学校で行われる理由として、宅地開発で農業に関連した祭事の多くが失われていく中、伝統行事を残したいという願いも込められているようです。
作る時期と意味
現在は1月14日前後の土日の昼間に行われることが多いのですが、昔は2月中旬の夜に行っていました。どうして日程が変わったのでしょうか? 元々は旧暦の小正月の夜に行われ、正月飾りをたき上げることに重要な意味を持っていました。旧暦の正月は新月にあたり、この日にトシガミ様(正月に来る神様)が家にやってきて、正月飾りを
1872(明治5)年に新暦(欧米と同じ太陽暦)に変わったことで、旧正月の行事は新正月(1月中旬)に移行しました。さらに現在は人が集まりやすい土日に行い、消防署や子ども会からの要望もあって、点火時刻は昼間へと変化しました。開催時期と時間が変わったことで、月の満ち欠けや夜に行う意味も失われてしまいました。
継承と存続
歴史をもつトンドですが、制作者の高齢化や減少、制作技術の伝承といった、継承と存続に関する課題を抱えています。トンドを組み立てられる大人がその地域にいない、仕事で手伝うことが難しい、重労働であるトンドづくりを忌避するなど、トンドへの関心が薄れつつあります。
また、都市部と農村部で課題は異なります。都市部ではトンドを燃やす際に生じる灰やにおいの苦情に対する対応・対策、宅地化が進行する農村部の一部では、田畑の減少でトンドに適した場所の確保が課題となっています。伝統を継承するために、マニュアルを作ったり、隣の地区の土地を借りたりするなど、各地域で取り組んでいます。新しい住民が増加する地域では、トンドの歴史や負担も含めて説明し存続できる可能性を広げています。
次の世代へ
昔は神様を火で送る行事、無病息災・五穀
執筆:横川知司
東広島郷土史研究会
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