東広島にまつわる歴史を探り、現代へとつなぎたい。郷土史のスペシャリストがみなさんを、歴史の1ページへ案内いたします。
西条酒蔵通りの街は「酒都西條」と呼ばれた近代日本酒産業の街の名残りⅡ
「子供の頃の記憶」
私がこの東広島市に引っ越してきたのが25年前。子供の頃に見覚えがある街の姿が、酒蔵通りという地域には残っていました。ガイドの人に案内されて聞いた話は、「参勤交代でにぎわう江戸時代の頃から酒造りが盛んで、明治になって赤いれんが煙突が建ち並んだ」というもの。子供の頃でよく覚えていないが、いろんな人の名前が出てくる話を当時のお年寄りから聞いたものです。
前回も言いましたが、「歴史」は[His+Story]から来ていると言うならば、His=「人」の名前が出てこないのは、「街の歴史が消えている」ことなのだと思ったのです。ガイドの中で出てきた人の名前は「島左近※(注2)」だけでした。それで「街の歴史」を調べ始めたのです。
※(注2)関ヶ原の合戦で戦死した西軍の将「石田三成」の右腕と呼ばれた武将
「酒都西條」の街を造った人たちの物語
西条の酒造りの話をする前に、江戸末期の「四日市宿」のことを少しお話しします。幕末が近づくころから、この町は寂れてしまいます。原因は、北前船が尾道や三原の港を素通りして沖合いを通るようになり、広島城下と尾道・三原を結ぶ陸路物流の中継地で栄えていた四日市宿は、荷も人も絶えて多くの商家は商売が出来なくなりました。幕末には参勤交代もなくなり、本業が苦しくなると清酒など造る余裕もなく、町で必要な酒は近隣の村酒屋が造って運んで来ていました。
そうした幕末の文久元 (1861)年、現在の呉市広町から四日市の町にやって来た「森田貞一」(当時24歳)という男がいました。四日市の商家「小島屋」に婿入りした貞一は、実家のカネで傾いた店の商いを立て直し、四代目「木村和平」を襲名。この小島屋の向かいにある東胡屋(とうえびすや)には、次男「坪島勝恭(かつやす)」(当時9歳)がおり、明治2(1869)年に小島屋の西隣の嘉登屋(かどや)の主人が亡くなったことで、 その跡目を継ぎ「島博三(はくそう)」を名乗ります。
4(71)年の廃藩置県で藩が廃止され、藩から与えられた酒造株は元の商家に戻されます。それを手放した商家から和平は買い取り、博三は嘉登屋に戻って来た株を和平と一緒に新政府の酒造株に書き換え(有料)、6(73)年から清酒造りを始めたのでした。
幕末から明治にかけて、全国で数多くの家が清酒造りを始めるようになるのです。それは「士農工商」という身分制度もなくなり、全人口の8割以上の平民も清酒を飲むようになったことで、清酒は「日本酒」になります。和平や博三と同じように新たに清酒造りを始めた者が、 四日市から一番近い賀茂郡の港町「三津」(今の安芸津の街)にも居ました。それが清水屋の主人の三浦仙三郎(保昌)で、この仙三郎は酒造りをやめた酒蔵を買い取り、9(76)年から清酒造りを開始します。
しかし仙三郎の酒造りは、 なかなかうまくいかなかったようです。当初から腐造(ふぞう)※(注3)に悩まされ続け、 それが新たな醸造技術を生むことにつながるのです。まずは明治初期から新たに清酒造りに挑戦した、今の東広島市に居た三人の酒造家たちの話から始めましょう。
※(注3)製造中に酒が腐るのを「腐造」と言い、貯蔵中に腐るのが「火落ち」
「酒都西條」の礎(いしずえ)を築いた男たち
昔の賀茂郡南部の沿岸地域、今の竹原の街から呉市安浦町にかけて、幕末から明治前期に数多くの酒造業者が誕生します。最盛期には80近くもの酒蔵が建ち並ぶことで、兵庫沿岸部の大酒造地帯「灘」に似ていることから「西の灘」とも呼ばれていました。しかしここで造られる酒は、本家「灘」とは比べものにならない質の低い酒でした。
ところが22(89)年に新橋(東京)~神戸間の鉄道が開通し、灘の酒は鉄道によって運ばれ、それまでの東京に酒を運んでいた船を使って瀬戸内海を西に向かい、関門海峡を抜けて日本海沿岸の港町まで運ばれるようになります。
これまで灘の酒を見たこともなかった地域にこの酒が出回るようになり、港町でもある竹原や三津の街は大変なことになりました。地元の酒には誰も見向きをしなくなるのです。それで沿岸部の酒造業者は、 酒造りをやめていくようになりました。
残った酒造業者は、灘酒に負けない酒を造ろうと酒造りの研究会を興し、 協力者を集めて質の高い酒造りに挑戦します。そのリーダーが三津の酒造家「三浦仙三郎」であったのです。それに協力するのが、西條の木村和平と島博三という、仙三郎と同じく異業種から清酒造りに挑戦した酒造家たちだったのです。そしてこの3人の酒造家が、のちに「酒都西條」と呼ばれることになる、近代日本酒産業のテクノポリスを生む、その礎となるのです。
東広島郷土史研究会
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