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つなぐ つながる つなげる東広島史 今回のテーマ「学校」Ⅱ

  • 2024/06/25

 東広島にまつわる歴史を探り、現代へとつなぎたい。郷土史のスペシャリストがみなさんを、歴史の1ページへ案内いたします。
執筆:國松 宏史


檜高憲三と西条独創教育

檜高憲三の略歴

檜高 憲三 20代頃
檜高 憲三 20代頃

 明治30(1897)年、賀茂郡杵原村(現・高屋町杵原)に生まれる。
 大正6(1917)年、広島県師範学校卒業。西条尋常高等小学校に訓導(教諭)として3年間勤務する。同9(20)年、広島県師範学校附属小学校に転任し3年間勤務する。同12(23)年、26歳の若さで、西条尋常高等小学校校長に抜擢(ばってき)される。以降、23年間校長を務める。終戦後の昭和21(46)年、翼賛(よくさん)壮年団長だったことから、進駐軍により教育界を追放される。
 21年、賀茂ドレスメーカーを設立。多くの若い女性が手に職を付けるため、また、花嫁修業として学ぶ。30(55)年から、県会議員1期4年間務める。41(66)年、賀茂郡小学校長会で講演後、心筋梗塞で急逝。享年68。



独創教育創始者 千葉命吉との出会い

◆千葉命吉の略歴

千葉 命吉

 明治20(1887)年、秋田県湯沢市で生まれる。秋田師範学校を卒業後、札幌師範学校、愛知第一師範学校、奈良女高師範学校附属小学校の訓導を務めた。大正8(1919)年「創造教育の理論及実際」を発表し、その独創的理論が評価され、9(20)年、広島師範学校の教諭兼附属小学校主事(校長)となる。10(21)年2月、帝国議会貴族院予算委員会で、千葉の「正行久松同善論」が危険思想としてやり玉になる。11(22)年、文部省から思想調査が来るが、千葉は改めず、退職願を出させられた。1月末、ベルリン大学に留学する。


◆千葉命吉の創造教育論

 千葉の教育論は「好きなことをやりなさい。そしていったん始めたら、やり遂げるまで責任を持ってやりなさい」という、子どもの衝動を満足させることである。教育のあらゆる場面において、子どもが活動し、実践する機会を取り入れる。そのための具体的方法として「創造教育の5段階」を解いた。
《1》資料の受領…新教材を自学自習する。
《2》問題の発見…一人一人が自分の問題を発見する。
《3》問題の構成…問題をまとめる。
《4》問題の解決…教師は相談に応じる。
《5》独創の表現…発表する。
 これは子ども自身による問題解決学習である。子どもの葛藤から出発し、子ども自身による問題の発見、その解決のための工夫努力、そして成就の結果の満足、それが教育であるとする。



◆千葉命吉と檜高憲三の出会い

 千葉命吉が赴任した同年に、檜高憲三も附属小学校に転任している。千葉命吉は、赴任後間のない12月に、「独創研究教育大会」を開催している。
 当時、23歳の青年教師であった檜高憲三が、主事(校長)である千葉命吉から独創教育の指導を受け、学び、実践に力を尽くした。


黒橋を渡り小学校に向かう参加者
黒橋を渡り小学校に向かう参加者
体操風景
体操風景


檜高憲三 西条尋常高等小学校校長就任

◆当時の西条町世相

 江戸時代に宿駅・宿場町として発達してきた四日市次郎丸村も、明治期に入ると、参勤交代制度も廃止され、宿駅・宿場町としてにぎわった町の活力が失われた。生活はその日暮らしで、薄情で、客からはお金を取れるだけ取り、目先の利益だけを考えていた人が多くいた。
 明治27(1894)年、山陽鉄道が広島まで開通し、西条停車場ができ近郊の中心地となる。転入する人も増え小都市の様相を呈していたが、町民は町を愛する意識が低く、利己主義で、うぬぼれが強い傾向にあった。
 大正時代に入り、主産業である酒造業は全国区の酒となり活況を呈するが、町議会の対立で政治的混乱に陥り、対立的で一面的な見方しか出来なく、町の世相は混乱していた。



◆校長就任

 大正12(1923)年、檜高憲三は、師範学校附属小学校での実績が評価され、教育の力で町を活性化する期待を込められ、26歳の若さで西条尋常高等小学校校長として迎えられた。
まず着手したことは、教育を学校という狭い範囲でなく、地域との連携の中で、学校教育・家庭教育・社会教育の三位一体を構築することから始める。毎年、11月11日に「子供デー」と称し〝学芸会〟を開催した。昼食時には、事前に食事券を販売し、うどん、いなりずし、ぜんざいなどを両親、祖父母、兄弟姉妹、地域の人々が子どもたちと一緒に食べ、地域挙げての行事として定着させた。会場には〝上品に〟、〝上品にお静かに〟などと貼り紙が掲示され、社会教育の一面も見受けられた。
 次に、「西条教育」の創造に取り組むのである。「人間が本来持っている創造性を啓発・助長することによる個性の完成を目指す西条教育」を合言葉に「まじめで、はたらきのある、えらい日本人になります。何事も自ら進んで、正しく、強く、優しく、永くやります」の校訓のもとに、先生と児童が一丸となって「独創」の実践に取り組んだ。



◆独創の実践例

《1》朝会隊形
 朝会隊形は縦形が一般的であるが、低学年から扇形に広がる隊形、クラスごとの横形朝会は独創的である。

3種類の朝会隊形
3種類の朝会隊形
写真上から
 ①扇形朝会…全員を見渡せ、声もよく聞こえる
 ②横形朝会…クラスごとに朝会をする並び方
 ③縦形朝会…体操隊形になりやすい並び方

《2》学級運営
 各学級では、月毎(つきごと)に4人ずつ級長※(注1)になり、1年間に全員が級長を体験した。毎日の授業終了時には、級長、副級長が司会を務め、授業を全員が理解できるように児童や先生が相談しながら明日の授業の予定を組む。先生は、その予定表に沿って教案を作成する。相談形式で授業を進めていくので、児童はよく理解できた。

※(注1)当時の級長は学力優秀でリーダーシップに優れた一部の児童しか選ばれなかった時代である。全員が級長を体験する学級運営は独創的である。また、児童と先生が相談形式で授業計画を立てていく授業づくりも独創的である。

《3》教員同士の参観授業
 わかる授業を創造するため、授業前や放課後を利用して、あるクラスに全校の先生が集まり、参観授業を行う。発問や板書・授業展開など気付いたことを相互に指摘し合い授業の質を高め合った。授業担当者はもちろん、参観教員も授業力や創造力を蓄積していった。

《4》西条教育研究大会
 毎年2日間の日程で開催された西条教育研究大会。当日は、参加者の人波が西条駅から西条小学校まで途切れることなく行列ができた。当時の新聞には、北は北海道、南は九州まで全国から2000名余りの教育関係者が参加、教室に入れない人が多数いて廊下にまで並んだと報じている。平日でも早朝から勤務終了時まで参観者が絶えず、先生・児童はよい意味での緊張感をもって授業を行っていた。檜高憲三の、先生や児童の〝創造力〟を高める〝独創教育〟の実践は、広島県はもとより全国の教育界に大きな影響を与えた。
第一回西条教育研究大会(大正15(26)年)に千葉命吉が講師として参加している。



コラム1

東郷平八郎揮毫(きごう)「獨創」と渡部和吉

 西条小学校の体育館に東郷平八郎が揮毫した「獨創」と書かれた文字が輪島塗の額に納められている。揮毫の経緯は、地元有力者・渡部和吉が海軍省の市川清次郎中将を介して東郷平八郎にお願いして揮毫して頂いたものである。
 渡部和吉は、西条町の町会議員を長く務め、議長も経験した人物で絶えず地元に貢献したいという気持ちを持っていた。大正14(1925)年、和吉48歳の時、東京日本橋で輪島塗を扱う店を経営していた兄・宏吉が急逝したため、店の後継者となり、西条の呉服雑貨店を妻子に任せ上京した。
海軍省と取引があり、市川清次郎中将をはじめ将校クラスの方々とも昵懇(じっこん)の間柄であった。ある時、世間話のなかで全国的に有名な西条小学校長・檜高憲三の独創教育に話が及んだ。市川清次郎中将の上官である東郷平八郎は日露戦争の日本海海戦でT字戦法(東郷ターン)という独創的な戦法を編み出した提督である。 和吉は両者に共通する「独創」の揮毫をお願いしたいと考え、地元の西条町長・土肥岸太郎、西条小学校長・檜高憲三に相談し賛意を得た。早速、市川清次郎中将を通して、東郷平八郎に揮毫をお願いしたところ、檜高憲三の独創教育に共鳴され、揮毫「獨創」を快諾された。

獨創を中心に左が檜高憲三、中央が土肥岸太郎、右に渡部和吉(渡部家提供)
獨創を中心に左が檜高憲三、中央が土肥岸太郎、右に渡部和吉(渡部家提供)
東郷平八郎揮毫「獨創」 渡部和吉家
東郷平八郎揮毫「獨創」 渡部和吉家


コラム2

檜高憲三先生教育碑

 西条駅北口、御建神社境内に、「檜高憲三先生教育碑」が建立されている。設立は昭和41(1966)年11月3日、旧制西條小学校同窓会、西条教育同人会、檜高教育を讃(たた)える会の発起により建立されたものである。
 形状は町内産の自然石をセメント固めした台の上に、高さ1㍍50㌢、幅2㍍の県内産の御影石を用い、本を開いた形に造られ、中央に西条小学校の校章が刻まれている。
 「獨創」の揮毫は、元海軍大将東郷平八郎、「教育碑」の揮毫は、元文部大臣、広島大学学長森戸達夫、「校訓」の揮毫は、県会議員 坂田史郎、「碑文」の揮毫は、門下生の賀茂鶴酒造会長石井武志である。
 檜高憲三が、41年1月14日急逝の10カ月後に建立された。

檜高憲三先生教育碑除幕式。中央椅子が夫人(檜高家提供)
檜高憲三先生教育碑除幕式。中央椅子が夫人(檜高家提供)

東広島郷土史研究会
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プレスネット編集部

広島県東広島市に密着した情報を発信するフリーペーパー「ザ・ウィークリープレスネット」の編集部。

東広島の行事やイベント、グルメなどジャンルを問わず取材し、週刊で情報を届ける。

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