東広島にまつわる歴史を探り、現代へとつなぎたい。郷土史のスペシャリストがみなさんを、歴史の1ページへ案内いたします。
執筆:國松 宏史
瀬戸内高校、広島桜が丘高校創始者 松本 隆興
松本隆興の略歴
松本隆興は、安政元(1854)年、賀茂郡吉行村で代々神職を継ぐ、松本國廣と政子の次男として誕生する。長男が幼くして夭折(ようせつ)したため実質長男として育てられる。
少年期から青年期にかけて、安芸藩校で漢学、神道を学び、藩校皇学所(国学を学ぶ高等教育機関)で国学、神道を修学する。さらに、選喬会(せんきょうかい)(白島師範学校の前身)に入学し英語、数学、理科を学んだ。
明治6(1873)年、吉行村に帰り、土与丸村大林寺に「振起館(しんきかん)」(吉土実小学校の前身)創設に尽力し、館主に就任する。館主の傍ら、9(76)年、広島師範学校を修了する。
12(79)年、25歳の時、農商務省勤務のため上京し16年間在住する。勤務の傍ら、福沢諭吉の門下生として薫陶(くんとう)を受け「国の振興は青少年の教育にある」との信念を形成する。28(95)年、41歳の時、農商務省を辞任し帰郷する。
◆西條町長就任
帰郷した翌年、29(96)年、第5代西條町長に就任する。この時代は、山陽鉄道が、糸崎(三原)~広島まで開通(27年)し、西條停車場が開設された。3年後の30(97)年に貨物駅舎もできた。後に西条町の主産業となる酒造業は、木村酒造(賀茂鶴)、島酒造(白牡丹)、に加え、石井酒造(亀齢)が創立した黎明(れいめい)期を過ぎた時期であり、鉄道開通を機に西日本に販路を拡大・飛躍する時機でもある。隆興は、町長として農商務省の経験を生かし行政面から援助した。後に「酒都西條」となる礎を築いた功績者の一人でもある。在任期間は、29(96)年5月~31(98)年12月の2年7カ月であった。
◆巡査・文官試験予備塾開設
30年、吉行村の生地に、生徒を集め予備塾を開設(塾生8名)。これが教育者・松本隆興の始まりである。
私立松本学校創立
◆尋常小学校教員育成
34(1901)年4月、尋常小学校教員育成を目的に「私立松本学校」を創設し校長に就任する。「貧困の男女を教育するため」、「独立・自営」を教育方針に、多くの人材を輩出する。
◆岩清水八幡宮 宮司就任
34年、代々神職を継ぐ家系に生まれた隆興は、岩清水八幡宮の宮司も兼ね、賀茂郡神職取締役に就任する。
岩清水八幡宮は、安芸国分寺の鎮守社として建立された神社で、江戸時代から明治時代の初期ころまでは吉行村、土与丸村、四日市次郎丸村3カ村の氏神であった。
◆私立松本学校のあゆみ
明治34年(1901)
私立松本学校創設
大正3年(1914)
松本商業実務学校を併置
12年(23)
松本商業学校に昇格
13年(24)
松本学園設立、松本中学校を開校する
昭和2年(1927)
広島市尾長町へ移転し、松本学校 校長を辞任する
3年(28)
2代目校長に、次男の松本豊次が就任する
2月、逝去。享年74
19年(44)
終戦前、軍事色が強まり国の意向で一時、松本工業学校に改編する
21年(46)
松本商業学校に戻す
23年(48)
学制改革で、松本商業高等学校となる
38年(63)
女子部を開校する
43年(68)
女子部を、「広島第一女子商業高等学校」と改称
47年(72)
松本学園を瀬戸内学園と改称。同時に、「松本商業高等学校」を「瀬戸内高等学校」と改称する
※瀬戸内高等学校は、勉学と同時に部活動が盛んに行われ、サッカー部、ゴルフ部、バスケット部、チアリーディング部、バドミントン部、野球部、吹奏楽部などは全国大会出場の実績を残している。
平成9年(1997)
「広島第一女子商業高等学校」を「広島桜が丘高等学校」と改称
コラム1
松本隆興先生之像
生地前の敷地に、「松本隆興先生之像」、「松本隆興先生の略歴と学園の沿革」の石碑が建立されている。
隆興が、最初に巡査・文官試験予備塾を開設した場所は、生地の安芸国分寺西隣りであった。後に、松本学校設立(明治34年/1901)後、1000坪余りの校地に拡大した。瀬戸内高校は、松本学校創立以来、今年度で123年の歴史となる。
松本家墓地
墓地は、生家隣接の北にあり、隆興を中心に、右に妻光子(美津子)、左に息子の豊次の塋(はか)が並んで建っている。
コラム2
二代目校長 松本豊次
松本豊次の塋(はか)に略歴が刻まれている。左側面に、「松本豊次は松本隆興の二男 母美津子 学校早稲田大学を了へ 昭和二年松本商業学校長 同三年松本中学校長 大正十二年四月吉土實村会議員 次で同村長に擧げられ 昭和十四年七月西條町に合併するまで拾六年間勤續す 昭和廿年八月六日於廣島市原子爆弾に遭ひ同廿一年二月廿七日死す」。
右側面に、明治廿三年八月十三日出生 享年五十八歳 と刻まれている。
吉土實村、村長時代の業績の一端である「紀念碑」が豊次の揮毫(きごう)で現存する。
東広島郷土史研究会
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