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(THU)

東広島地歴ウォーク 馬鈴薯畑と海岸を歩こう― 安芸津町木谷 ― その②

  • 2024/09/03

 東広島をふらっと歩いてみませんか。見方を少し変えるだけで、その地域の地理や歴史を物語るものが見えてきます。散策しながら地域を学ぶ「地歴ウォーク」の世界へようこそ。

執筆/広島大学大学院人間社会科学研究科教授 熊原 康博



地理院地図に示した散策ルートと観察地点
地理院地図に示した散策ルートと観察地点


馬鈴薯畑の丘を登る

 二馬手から本江に向かって丘の鞍部(あんぶ)を越えて歩きます。本江集落では、煉瓦(れんが)を使った家屋を見ることができます(地点⑧)。集落が終わったところから丘の上に向かって登ります。はじめは急斜面ですが、畑が見えてくる所からは、なだらかな尾根(丘)へと変わります。


地点⑧ 煉瓦を使った家屋
地点⑧ 煉瓦を使った家屋

 尾根筋には段々畑が広がり、振り返ると、緑色の馬鈴薯(ばれいしょ)畑、あぜ道から見える赤い土壌、青い海の美しい風景(地点⑨)が広がります。訪れるなら5月末と10月下旬の馬鈴薯の白い花が咲く時期がベストです。


地点⑨ 尾根筋の馬鈴薯畑

 このあたりの色別標高鳥瞰(ちょうかん)図(図1)を見ると、海から標高50mまでは急な崖であるものの、それより上は、標高50~75mにかけて徐々に南へ低下する、幅の広い尾根が広がっています。


図1 色別標高鳥瞰図 地理院地図より作成。高さは水平方向に対して2倍に強調
図1 色別標高鳥瞰図 地理院地図より作成。高さは水平方向に対して2倍に強調

 この尾根の木々を切り開いて耕作地にすると、降雨の度に土壌の流出が想定されることから、段々畑にしたと考えられます。
 このあたりの馬鈴薯は赤崎馬鈴薯と呼ばれ、皮が滑らかで見た目が良く、食味が良い品種「デジマ(出島)」がよく作られています。この地域での栽培は、春と秋の年2回収穫する二期作です。春作は、他県へ出荷する種芋の生産が多く、種芋を生産する畑には、それを示す紙のついた札が立てられています。一方、秋作は、主に食用として広島県内に出荷されています。
 そのまま、尾根筋を北に向かって歩きます。地点⑩には、蔦(つた)に覆われた煙突のある煉瓦造りの建築物があります。これは本谷地区でかつて使われていた火葬場跡です。



屋根の上に屋根?

 鞍部にある本谷集落を過ぎて、丘の裾野を歩くと、屋根の上の屋根(越屋根といいます)のある家屋(地点⑪)があります。越屋根の家屋は本江集落などでも見ることができます。これは、かつて葉たばこを生産していた時に、収穫した葉たばこを乾燥させた小屋です。小屋の床近くにバーナーがあり、バーナーに接続した金属管を這(は)わせて煙をめぐらせ、金属管からの熱で小屋内の室温を上げます。これで葉たばこが乾燥し、室内の空気が越屋根を通じて排気されるのです。


地点⑪ 葉たばこを乾燥させていた越屋根の乾燥小屋
地点⑪ 葉たばこを乾燥させていた越屋根の乾燥小屋

 農家の中には、春に葉たばこを植えて、秋に馬鈴薯を植える二毛作をする方もいたのです。話を伺うと、昭和の終わり頃まで葉たばこを生産していたとのことです。
 地点⑫には三種神社があります。急な参道の階段を登ると、なだらかな尾根の上に社殿があります。大坂の船主や船名が刻まれた手水(ちょうず)鉢が残っています。また普段見ることはできないものの廻船業者の元屋らが寄進した船絵馬や、船の板図も奉納されており、ここでも廻船業者の影響を伺うことができます。


地点⑫ 三種神社の社殿と石造物
地点⑫ 三種神社の社殿と石造物
 左下は手水鉢。表面には「奉寄進 大坂府 加賀氏 加寶丸」、側面には「明治十二年六月吉日」と刻まれている


三津湾の眺め

 本谷から、矢ノ浦を経てゴールの木谷地域センターへ戻ります。矢ノ浦では、三津湾を背景に竹岡さん夫妻が手入れをされている美しいバラ園(地点⑬)があります。見学することもできます。



地点⑬ 矢ノ浦にあるバラ園
地点⑬ 矢ノ浦にあるバラ園

 地点⑭は、三津湾を一望できる見晴らしの良い場所です。三津湾の先にある灘山(保野山)の山頂付近には、〝万〟の字が見えます。11月の祭りの時など、年に数回、〝万〟の字に明かりがともります。この〝万〟の字は、安芸津町風早が万葉集の句に詠まれたことにちなんでつくられました。
 江戸時代後半の文化3年3月6、7日(1896年4月24、25日)に、伊能忠敬一行が三津湾付近の海岸線を測量していることが、忠敬の日記に記されています。忠敬本人は、6日に竹原周辺を測量した後、三津湾を舟で通り、安芸津町三津の宿に着きました。忠敬の部下たちは、木谷の海岸沿いを歩いて測量しています。



終わりに

 木谷地区は、なだらかで広い尾根(丘)と尾根を侵食する細い谷からなる半島であり、大きな川はありません。また、ため池もほとんどなく、一般的な農業形態である水田を主とした農業には適していません。
 しかし独特な地形・地質を生かして、煉瓦生産、馬鈴薯栽培、葉たばこ栽培、かんきつ栽培を行ってきました。
 また、塩田を経営し、船を所有して日本を股にかけた交易を行ってきました。今回は触れませんでしたが、木谷地区は、西条の酒を作る杜氏(とうじ)の里でもあります。外での仕事を積極的に行いながら、自然条件を生かして生活してきた様子を、地域に残る痕跡からうかがうことができるのです。



《ルートの距離》
木谷地域センター(スタート)―【距離2・5km】→本江(地点④)―【1・1km】→塩竈神社(地点⑦)―【1・8km:登り約60m】→段々畑(地点⑨)―【1・4km:登り約40m】→バラ園(地点⑬)―【1・1km】→木谷地域センター(ゴール) 合計7・9km


〈参考文献〉
植野洋文(2023) 『改訂・増補版 木谷の歴史』
釜床美也子・宮本慎宏(2017) 瀬戸内地域を中心とした黄色種のタバコ乾燥小屋の構法.日本建築学会計画系論文集741号、p.2815ー2825
熊原康博・岩佐佳哉編(2023)『東広島地歴ウォーク』

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東広島地歴ウォーク 馬鈴薯畑と海岸を歩こう― 安芸津町木谷 ― その①

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プレスネット編集部

広島県東広島市に密着した情報を発信するフリーペーパー「ザ・ウィークリープレスネット」の編集部。

東広島の行事やイベント、グルメなどジャンルを問わず取材し、週刊で情報を届ける。

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