東広島をふらっと歩いてみませんか。見方を少し変えるだけで、その地域の地理や歴史を物語るものが見えてきます。散策しながら地域を学ぶ「地歴ウォーク」の世界へようこそ。
執筆/広島大学大学院人間社会科学研究科教授 熊原 康博
木原家と石造物・俳諧文化
今回は、東広島市高屋町白市の古い町並みを歩きます。白市の集落は、入野川沿いの白市駅周辺にはなく、約1・5㌔㍍北西の丘の上にあります。集落の南東には周りより約70㍍高い山があり、城山(白山城)と呼ばれています。白市は、白山城の城下町を起源としています。
スタートは、白市探訪駐車場です。駐車場すぐの道路端には弘法大師(お大師さま)を祭る祠(ほこら)があります。祠の脇にはトタン板で覆われた共用井戸跡(地点①)があり、〝下川(しものかわ)〟と呼ばれていました。祠の隣には、道路改修を記念した「修路碑」(地点②)があります。碑前の南北の道は、三次と竹原を結ぶ古い街道でした。
西福寺への階段を登り、寺の境内を通ります。境内には釈迦(しゃか)仏の石仏(地点③)があり、台座には施主 木原保満(きはらやすみつ)と刻まれています。保満は、江戸時代中頃の白市の豪商木原家の当主でした。なお、木原家は、白山城の城主であった平賀家の一族に連なるとされています。
西福寺を過ぎて野道を右に折れて進むと、東町しろやま公園(地点④)があります。ここから集落を見ると、白市の集落が丘の上にあることがよく分かります。
さらに、野道を進み森に入った奥に、四角い共用井戸(地点⑤)があり、〝城川(じょうのかわ)〟と呼ばれています。ここにもお大師さまを祭る祠があります。城川は城の飲み水として使われたと考えられます。
城川の脇には墓地があり、その墓地端に六地蔵(地点⑥)が並んでいます。5体は立像で、1体のみ座像となっています。座像の台座に寄進した保満の名と年号享保19(1734)年が刻まれています。
城川から少し登った先に鴬(うぐいす)塚(地点⑦)があります。この碑には〝鴬塚〟の文字しか刻まれておらず、説明板はありません。しかし、この碑は、近世広島を代表する俳諧の指導者多賀庵風律(1698~1781年)をしのんだ碑なのです。
風律は、松尾芭蕉の孫弟子にあたり、多くの門下を育てたとされています。風律の句「鴬やとなりなれともこ地の枝」から〝鴬〟の字が碑に刻まれたのです。碑が建立されたのは寛政5(1793)年4月のことで、風律の十三回忌にあたります。
野道を引き返して、東町しろやま公園脇の階段を上がります。ここには、平賀家の菩提(ぼだい)寺である光政寺(地点⑧)があります。ここにも、保満が寄進した宝篋印塔(ほうきょういんとう)が境内にあります。通常見ることはできませんが、本殿には、宝永7(1710)年に奉納された俳額が飾られていて、広島県内でも最も古い俳額の一つです。この俳額には、白市の小地名を詠んだ30句が書き連ねられています。
鴬塚や俳額の存在は、白市がこの地域における俳諧文化の拠点であったことが伺えるのです。
ところで、保満が寄進した石造物(石仏・宝篋印塔・六地蔵)は1687~1740年に建立されており、風律が生きていた頃と重なります。俳額も1710年に平賀家の菩提寺に奉納されていることを考えると、白市の俳諧文化の発展には、保満や木原家の人々が関わっていたのではないでしょうか。
飲み水を求めて
東町しろやま公園から北にまっすぐ延びる小道(立町)を進みます。一般的に城下町の〝立町〟とは城と城下町をつなぐメインストリートを指し、この道は城下町を整備したときに最初に作られた道と考えられます。立町は、周りより高い尾根の上に沿っています。
地点⑨には、白山城に関する看板が設置されています。地点⑩から地点⑪の立町の道路下には城山の北の斜面から引いた私設水道管が埋まっています。この管は、伊原惣十郎家(地点⑰)の裏庭にある水場まで延びていて、その長さは約1・1㌔㍍です。地点⑩は惣十郎家よりも約10㍍低いのですが、山腹の高い位置から取水するため、サイホンの原理で、一度低くなっていても水を高いところへ送ることができたのです。この水道は、明治末か大正時代に作られたとされます。
地点⑪には片流れ屋根の共用水場があり、水場にほこりが入らないようにふたがついています。水場の水は、惣十郎家からの余り水を利用しています。さらに、水場の奥には12本の細いパイプが引かれていて、これは共用水場から各家に送っていたパイプの名残です。
水場の水を利用する住民は〝水子〟と呼ばれていました。水子は無料で水を使えたのですが、水道管が壊れた場合には修理の労力を提供しました。現在、地域の人々は、この水道の水を使うことはありませんが、水の得にくい丘の上にすむ人々の工夫の跡といえます。
最近、有志の方により、水道管を修理して城山の水を再び伊原惣十郎家の水場へ送ることができるようになったのです。歴史を活かした地域の魅力づくりといえそうです。
〈参考文献〉 熊原康博・岩佐佳哉編(2023) 『東広島地歴ウォーク』