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東広島地歴ウォーク 丘の上にある城下町を歩こう ―高屋町白市― その③

  • 2024/12/04

 東広島をふらっと歩いてみませんか。見方を少し変えるだけで、その地域の地理や歴史を物語るものが見えてきます。散策しながら地域を学ぶ「地歴ウォーク」の世界へようこそ。

執筆/広島大学大学院人間社会科学研究科教授 熊原 康博


図1 地理院地図に示した散策ルート、観察地点と浅い井戸(#)
図1 地理院地図に示した散策ルート、観察地点と浅い井戸(#)

茶生産のいまむかし

 稲荷神社から崖を下り、西町を西に進み、県道と合流した先に石碑(地点⑲)があります。この碑は、この地域でお茶の生産を広めた平木信隆氏を顕彰したもので、明治4(1871)年7月に建てられました。碑文には、江戸末期に私財を投じて京都の宇治で茶の生産方法を学び、それを白市の農民に伝えたこと、その後、茶の価格が高くなり、農民が利益を得たことが記されています。


地点⑲ 平木信隆顕彰碑と茶工場
地点⑲ 平木信隆顕彰碑と茶工場

 茶は、水が得にくい不利な土地でも育つ樹木で、丘の上にある白市周辺でも、茶を生産することができたのです。

 碑近くの墓地に、信隆の墓があります。墓には明治5(72)年6月に大坂で死去したことが刻まれています。戒名の中に「麗香」の文字が含まれていて、茶の良い香りの意があるように思えます。

 信隆の死去がきっかけかのように、茶生産は明治10(77)年頃には廃れてしまいました。しかし、戦後、再び茶生産が行われるようになりました。昭和54(1979)年発行の地形図(図2)をみると、白市の周りには茶畑が広がっています。


図2 昭和50年代の白市周辺の茶畑(緑色)と谷(水色)
基図:昭和54(1979)年発行 2.5万分の1地形図「白市」
図2 昭和50年代の白市周辺の茶畑(緑色)と谷(水色)
基図:昭和54(1979)年発行 2.5万分の1地形図「白市」

 碑の奥の建物は、JA広島中央の茶工場です。茶葉が最初に摘まれる時期(一番茶)にあたる5月下旬から約2週間だけ稼働するのです。主に賀茂台地で収穫された茶葉が集められて、蒸しや乾燥などの工程を経て緑茶を生産しています。

 県道を渡り、高屋東小への坂を上り、再び丘の上を歩きます。保育所の敷地を過ぎると、左手に縞々(しましま)状の植え込みの茶畑(地点⑳)が見えます。ここの茶畑で収穫された茶葉は、白市紅茶として生産・販売されています。


地点⑳ 茶畑
地点⑳ 茶畑

 茶畑脇の野道を東へ進むと竹林があり、その中に階段のある参道と荒神の祠(ほこら)(地点㉑)があります。階段に石柱があり、木原保満(※本紙10月3日号参照)と刻まれています。このあたりの地名は、御土居と呼ばれています。一般的に〝土居〟の地名は、山城の城主が普段暮らす場所を指し、実際に発掘調査で居館跡が見つかっています。


地点㉑ 荒神の祠
 右奥に祠、左手前に木原保満の名が刻まれた石柱。
地点㉑ 荒神の祠
右奥に祠、左手前に木原保満の名が刻まれた石柱。


河内高校の碑がある理由

 荒神の祠から少し東へ進むと、「河内高校発祥之地」碑(地点㉒)があります。少し奇妙ですが、御土居にあった白市実科高等女学校が県立河内高校の前身にあたるからです。また御土居では牛馬市も開かれていました。


地点㉒「河内高校発祥之地」碑
地点㉒「河内高校発祥之地」碑
 裏面には「広島県立河内高校創立八十周年記念 平成元年十一月同窓会建之」とある。

 牛馬市と女学校を経営していたのは、福原稲造という人物です。稲造は、明治期後半に東高屋村の村長もしていた、この地域の有力者の一人です。その後、大正13~14(1924~25)年に、牛馬市は白市の西町、女学校は河内町へ移転しました。稲造は、衰退傾向の白市から、駅がある河内に発展の芽を見いだしたのかもしれません。



浅い井戸vs深い井戸

 県道の陸橋を渡り、集落内の細い路地を進みます。浅い谷の所に、共用井戸である西ノ河(地点㉓)があります。この井戸は、引き戸のついた片流れ屋根の小屋の中にあり、ほこりが入らないようになっています。井戸をみると、浅い水面であることがわかります。井戸の隣には、お大師の祠が置かれています。


地点㉓ 共用井戸〝西ノ河〟とお大師の祠
地点㉓ 共用井戸〝西ノ河〟とお大師の祠

 白山城の城下町をなぜここにつくったのかを考えると、幅広い丘があることと、水が得やすい浅い井戸が複数存在していたことだったのではないでしょうか?

 白市には、浅い井戸(西ノ河・下川など)と深さ10㍍以上の深い井戸(旧木原家や伊原惣十郎家※本紙11月7日号参照)という深さが異なる井戸があります。異なる深さの井戸がある理由は、この地域の地形と地層に関係していると考えています(図3)。


図3 白市周辺の地形地質断面図
深い井戸は丘の上、浅い井戸(西ノ河・下川など)は谷の中にある。
図3 白市周辺の地形地質断面図
深い井戸は丘の上、浅い井戸(西ノ河・下川など)は谷の中にある。

 白市の集落は、昔の川の地層の上にあります。川の地層は水を通しやすいのですが、その下には水を通しにくい花崗(かこう)岩です。地下水は、川の地層と花崗岩の境界にあるため、丘の上にある井戸は深く、谷の中にある井戸は浅いのです。



終わりに

 3回にわたり、高屋町白市の集落を紹介しました。狭い範囲ながら、多くの見どころがあります。江戸・明治にかけて白市は、この地域における文化・経済・行政の中心地でした。しかし、丘の上にあり、平地が少ないこと、鉄道が通らなかったことから、街が発展することが難しく、それらの中心性が失われていくことも見えてきます。

 一方で、開発から免れた白市は、文化的遺産を数多く残す貴重な地域とも言えます。最近では白市町家保存会の方が、古い町家を活用したイベントを積極的に行い、地域の活性化に取り組んでいます。読者の方も、白市の町並みを散策し、丘の上の城下町の地理や歴史を感じていただければと思います。



《ルートの距離》
白市探訪駐車場(スタート)ー【距離300m】→鴬塚(地点⑦)ー【400m】→共用水場(地点⑪)ー【400m】→稲荷神社(地点⑱)ー【350m】→平木信隆氏顕彰碑(地点⑲)ー【500m】→茶畑(地点⑳)ー【500m】→白市探訪駐車場(ゴール)  合計2・45km

〈参考文献〉 熊原康博・岩佐佳哉編(2023) 『東広島地歴ウォーク』


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プレスネット編集部

広島県東広島市に密着した情報を発信するフリーペーパー「ザ・ウィークリープレスネット」の編集部。

東広島の行事やイベント、グルメなどジャンルを問わず取材し、週刊で情報を届ける。

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