「テレビや新聞が伝えていることは本当に信じていいのだろうか」。読者からよく聞く言葉だ。
メディア(本文はマスコミで統一)の偏向報道はなぜ生まれるのか。メディアに驕りはないのか。今回は「メディアの偏向報道と驕り」をテーマに、本紙編集委員の吉田実篤と日川剛伸、政治評論家の伊藤正義氏の3人がメディアに警鐘に鳴らした。(日川剛伸・大手新聞記者)
民主主義をゆがめる 結論ありきの姿勢
吉田:近年のテレビや新聞、インターネットなどのマスコミ報道を見ると、視聴率や発行部数を意識して、いわゆる商業主義的な偏向報道になっていると言わざるを得ない。偏向報道は、罪のない人や会社を自殺や倒産に追い込むことがあることを忘れてはならない。
伊藤:僕自身、マスコミの人に接して疑問に思っているのは、彼らにはあらかじめ結論があってストーリーに沿った質問を投げかけてくること。僕に意見を聞きたいのであれば、僕の言いたいように話させてくれればいいのだが、必ず途中で「それはこうですね」というように質問の方向を変えてくる。要するに、マスコミの都合による報道姿勢を強く感じている。
吉田:マスコミが報道しているのは、知り得ている事実のうちの一部。事実ではあっても、全体は伝えられないために、間違った印象を与えることが多い。偏向報道の怖さといえるだろう。
伊藤:偏向報道は、今に始まったことではない。例えば、テレビにはシナリオがあって、その方向に持っていくためのゲストを集めている。しかも「科学的なエビデンス(根拠)を求める」と言いながらも、ゲストはタレントばかりで、何のエビデンスを持っているのかと疑いたくなる。
日川:新聞も手法は一緒と聞く。公正中立を求められるマスコミが偏向報道に陥っている要因は、インターネットの普及で誰でも意見を発信できる時代であるのに、いまだに世論形成をリードする「オピニオンリーダー」だと錯覚していること。マスコミの驕り以外の何物でもない。
吉田:驕りで言えば、例えば公共工事の談合問題を報じる記事を目にすることがあるが、新聞の休刊日は各社とも一緒。購読料もほぼ横並びだ。新聞社の場合は、これを談合と言わないのだろうか。
日川:マスコミに関わる人は、自分の言うことは正しいという観点から取材がスタートする。プライドが高いというか、驕りからくる職業病と言わざるを得ない。
伊藤:ただ、マスコミには、民主主義を正しく育てるために権力と対峙(たいじ)するという使命があり、オピニオンリーダー的役割が期待されている一面もある。偏向報道は民主主義そのものをゆがめることになる。真実を伝えることはマスコミの責務。だからマスコミの責任は重い。
吉田:今回のコロナ禍では、マスコミが変な使命感に駆られ、新型コロナウイルスの正体も分からないまま、「怖い」、「怖い」と興奮気味にあおって伝える報道が、どれほど危険なものかということを知るべき。権力と対峙するためにコロナを利用する勢力に席巻されてはならない。
視聴率、部数ファースト
日川:報道(主張)の判断が、国民の利益に資するか否かよりも、視聴者や読者への迎合で決められることが、果たして真実なのだろうか。
伊藤:伝えていることは真実でなくても、報道された瞬間に真実になるのがマスコミの怖さ。特にテレビは即効性があり検証ができない。
新聞などの紙媒体が後追いで検証するケースがあるが、新聞社は系列のテレビ局の株を持っており、新聞社の考えはテレビに反映されていることになる。
吉田:プレスネット読者には、今回の座談会で明らかにしたマスコミの本質を知った上で、各社の報道を見てほしい。さて、自戒の念を込め、プレスネットの報道は、今後どうあるべきだろうか。
伊藤:プレスネットの良さは、紙媒体だけではなく、FMラジオ、デジタル配信と、いろいろな角度から総合的に物事が捉えられるようにしていること。一つのメディアに偏らないことが偏向報道を防ぐことにもなる。今後も続けてほしい。
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